渋川流十手術
渋川流十手術説明
十手は専ら捕物具として用いられた その効力は十の手を合わせた程有力なので十手と稱されたと云う
十手は実手、十実(当)、水力、鉄当、鉄?、鉢割等々、流派によって異なった名稱が用いられた。
元来、鉄鞭、卦算、鉄筒に類する武器であり支那や琉球等で用いる釵等の一種である。
十手の長さは大凡一尺二、三寸程を定寸とする
それは手の握りから肘迄の長さに合わせたものである
敵が刀で斬って来るのを鉄の棒身で受け肘先の方へ外すか又は手元の方に流れて来れば
鉄身に付いている太刀もぎにて刀身受け挟み捻じてもぎとり又敵の身辺に付入って捕える
又紐は手にからめておいて組打ちなどの場合でも身体から離れぬ様したり其の他敵に打ち付けたり
塀乗り越え等の用途に使った。(資料原文ママ)
禮楽堂伝承経緯
渋川流十手術は渋川流を創始した渋川伴五郎から時を得て、初代禮楽堂主笹森順造に伝わった。
笹森順造は十手術を再編集し禮楽堂門弟に伝承した。また門弟の中には当時警視庁剣道専門家もおり
その資料及び形は警視庁にも伝承され、現在も専門家により十手術の研究研鑽を重ねている。
禮楽堂では第二代禮楽堂主笹森建美所蔵伝書と警視庁に伝承された形を研究研鑽し、
禮楽堂に伝わる渋川流十手術として後世に継承していく。
渋川流十手術伝承形名
- 稲葉分
- 早飛懸
- 滝落
- 消毒之法
- 居合之伝
- 冠返し
- 蒔摺返し
- 弓留之伝
- 鉄炮之伝
- 鑓合之伝